世間を賑わせている「老後資金2,000万円」の話。
お金のことばかり先行しているように見える老後の問題。父の介護に関わっている立場として思うところがあって書きます。老後にお金があれば良い、というものではないと思うのです。
さて、老後資金として2,000万円を貯蓄しなさい。今まで明言されてこなかった事実を突きつけられました。
けれども、年金だけ(特に国民年金だけの場合)で老後の生活を送るのは難しいことは、薄々気づいていたのではないかと思うのです。
だって、国民年金の受給額は年間78万円と書いているからね。(平成31年4月)
気づいていたからこそ、日本人の8割が生命保険に加入しているのでは?と思ったり。
さて、そんなことはどうでも良い。
お金も大切だけど、さらに大切なことがあるのではないか、と思うのです。
「彼女は安楽死を選んだ」を見て気づいたこと
NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」
録画した放送を先日見たわけです。
安楽死が容認され海外からも希望者を受け入れている団体があるスイスで、一人の日本人女性が安楽死を行った。3年前に、体の機能が失われる神経難病と診断されたAさん。歩行や会話が困難となり、医師からは「やがて胃瘻と人工呼吸器が必要になる」と宣告される。その後、「人生の終わりは、意思を伝えられるうちに、自らの意思で決めたい」と、スイスの安楽死団体に登録した。
家族が見守るなか、人が死にゆく様子を見るのは衝撃でした。それがたとえ安らかに死を迎える安楽死であったとしても。放送してくださったNHKには感謝したいと思います。
さて安楽死を選ぶ彼女の発言で心に残ったものが2つあります。
「人間なんていつ死んでも今じゃないような気がするの」
(正確な発言内容ではないかもしれませんが、悪しからず)
これは、
人間としての尊厳を保つために「死を選ぶ」という思考が、「生きたい」という人間の根源的な欲求と、まさに戦っているシーンなのだと私は理解しました。
「(安楽)死」を選択する人の葛藤に衝撃を受けました。
そして、この番組を見て気づいたのです。
実は、自分がどのように死ぬのかをリアルに想像したことがない、ということ。
どう生きていくかを考えたことはあるが、どのように死を迎えるかをリアルに考えたことがなかったのです。
就職活動をするとき、会社のキャリア研修においてなど、10年後、20年後に自分はどのようにありたいか、多くの考える機会があります。
けれども、どのようにこの世から消えゆくか、考える機会は少なかったように思えます。
せいぜい、後世に自分の名前を残したい、くらいじゃないかな。
お金と同じくらいに大切なこと
「年金払え」と国に訴えるのも大切だ。 けれども、それと同じくらい、もしかしたらそれ以上に大切なことがある。
それは「老後はどのように暮らすのか」「いつからが老後なのか」ということ。
訴えても変わらないと思う。むしろ、どうやって貯蓄するか、もしくは、どうやって老後の生活費を抑制するか考える方が生産的ではないか??
介護施設で年金暮らしの父
さて、十分な年金額を受領していても幸せそうでない父親の話。
所謂、大手企業で働いていたサラリーマンなので、受給している年金額は比較的多い。金融庁のレポートが想定している毎月の生活費は、ほとんど年金で賄えるのではないかな。
じゃあ、豊かな生活を送っているのか?
父は介護施設に入居中。趣味はない。
2度の脳梗塞の影響で自分で立ち上がれない。トイレに行けない。だから、毎日の多くをベッドの上で寝ながらテレビ見るだけの生活。
外出するのは、たまに通院するだけ。
この生活を送るだけで、受給している年金の全てを使い、その上で貯金も切り崩す。
施設暮らしへの父の感想は「もう長生きできないと思うわ。」「しんどいわ」くらい。
父の横柄な態度が施設内で問題視されていて、じきに施設を追い出される可能性大。
年金は確かに十分に貰っている父親。
しかし、これは豊かな老後なのだろうか?
老後生活に求めるものや価値観はひとそれぞれ
父が豊かな老後を贈っているのか否か、それは分からない。もしかしたら父は満足しているかもしれない。
けれども私は嫌だ。たとえ、多額の年金を受給し、十分な貯蓄があるとしても、満足できる自信はない。
じゃあ「私」はどのように老後を暮らしたいのか?どのように「死」を迎え入れたいのか?
「老後をどのように暮らしたいか」「どのように死を迎えるか」を考えてみた
NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を観た上で、さらに参考図書を2つ追加。現役の医師の著作「日本人の死に時」と「平穏死のすすめ」です。
何歳まで生きれば“ほどほどに”生きたことになるのか?長寿をもてはやし抗加齢に踊る一方で、日本人は平均で男6.1年、女7.6年間の寝たきり生活を送る。多くの人にとって長生きは苦しい。人の寿命は不公平である。だが「寿命を大切に生きる」ことは単なる長寿とはちがうはずだ。どうすれば満足な死を得られるか。元気なうちにさがしておく「死ぬのにうってつけの時」とは何か。数々の老人の死を看取ってきた現役医師による“死に時”のすすめ。
食べられなくなった超高齢者に対し行われている「胃ろう」と多量の栄養点滴投与は、肺炎を誘発し苦痛を与えるだけである。死への準備をしている体にはそれにふさわしい栄養と水分があれば十分だからだ。待機者が常に数百人という特養の常勤医が提言する安らかな死の迎え方は、読む人すべてに熟考を促す。
日本では死ぬことすら難しいらしい
病院は基本的に「生きるため」「死なせないため」の治療・処置を施します。本人が希望しない場合は、多くの家族も、本人が長生きするための処置を病院に要望するのではないでしょうか。だれも、人間の死の引き金を引きたくないでしょうし。
本人・家族が拒否しなければ、食べられなくなっても、胃ろうで栄養を補給するでしょう。過剰に栄養を与えることは、本人に対する苦しみを与えることになりかねないそうです。
日本で安楽死(尊厳死)を選択する方法
私は、健康寿命(72歳)を超えたら、できるだけ早く死にたい。
なぜなら、私が苦しいこと・痛いことが苦手だから。そして、妻を含む他人に迷惑をかけるから。
けれども、安楽死が認められていない今の日本では「死にたい」という希望を叶えるのは難しいそう。日本における安楽死(尊厳死)については、2017年の記事が参考になりました。
ただ、消極的な安楽死(延命治療を中止することで、日本では「(消極的な)尊厳死」)はありうるようで、
・中心静脈栄養法など点滴の停止
・人工透析の中止
・人工呼吸器を外す
・抗がん剤の投与中止
という手段となります。

外国(スイス)で安楽死を選択する方法
積極的安楽死を選ぶなら、外国人の安楽死希望者も受け入れるスイスにわたるしかありません。とはいえ、スイスの安楽死も要件があるようです。
スイスでの安楽死の要件
「病気や障害により、普通に生活するのに著しい不具合」がある
「病気などによって常日頃から耐え難い苦痛を味わっている」
と言う条件に当てはまった場合に、安楽死が行われる場合が多い。その他、死期を早めたい理由について、本人が英語もしくはドイツ語で説明できなくてはいけないそうです。
そして、スイスでの安楽死にかかる費用が150万円~200万円。
いずれにしても日本人が安楽死(尊厳死)を選ぶことは少しハードルが高い。
では、どうしようか。
余生は「上手に死ぬ」というのが現実的な落としどころかもしれません。
私の寿命の考え方
いろいろと書いてきましたが、今の私が考える理想は次の通りです。
私は72歳(健康寿命)が寿命。72歳以降は余生と考えます
余生は文字通り人生の「あまり」ということ。健康寿命である72歳を過ぎれば、残りの人生はおまけ。近づいてくる死に対して抵抗せず、いつ死んでも良い時間と考えます。
具体的には、健康寿命~平均寿命までの8.8年は余生の期間なので、いつ死んでも大丈夫なように準備を進めるのです。
なぜ、そう考えるのか。
まず、健康寿命とは、
「健康寿命」は、健康上のトラブルによって、日常生活が制限されずに暮らせる期間と定義づけされています。日常的に介護などを必要とすることなく、自立した生活を送れている年数のことを表しているわけです。
現在の日本人の平均健康寿命は72歳です。
つまり、何かやりたいことがあっても、自分で成し遂げるだけの体力は72歳で尽きる可能性が高いわけです。
72歳以降に自分が何かをやろうと思えば、独力だけで出来る可能性は少なくなり、他人様の力を借りなければならないかもしれない。であれば、原則として、
やりたいことがあれば72歳までにやっておこう。
それまでにやりたいことを成し遂げていれば、それ以降はいつ死んでも満足だと思えるだろう。
と、考えたいのです。
健康寿命を過ぎれば、それ以上に寿命を延ばそう、長生きしよう、ということは考えないつもりです。おまけの人生(余生)なのだから。
余生で大病が見つかれば「死ぬチャンス」と考えます
先に、「日本では死ぬことが難しい」と書きました。けれども、日本で上手に死ぬ方法が1つだけあるかもしれません。
健康診断を利用するのです。
普通、長生きするために健康診断を受診します。悪いところが見つかれば、精密検査を受け、治療を受けます。72歳まではそれでOK。
しかし、余生(72歳以降、もしくは、72歳が間近に迫ったタイミング)の健康診断では、治療に時間と費用がかかる大病が見つかった場合、積極的に治療しないのです。
病気がみつかれば、「死ぬチャンスが見つかった」と前向きに考えます。そして、時間をかけてゆっくり死に向かっていくのです。
そうすれば、
病気で死ぬことができるし、死ぬことを前提に準備もできます。
お世話になった人へお礼を伝えることもできます。
病気が原因なのだから(しかも治療しないのだから)恐らく死ぬことができます。
無駄に長生きさせられることはありません。

今から常に72歳の健康寿命を過ぎれば死ぬことを意識して生きる
たとえば、65歳になってから、「自分の健康寿命は72歳。あとはいつ死んでも大丈夫。」と言い切る強さは私にはありません。
「まだ、やりたいことがあるから、せめてあと10年は生きたい」とか言ってしまうと思います。
けれども、今(アラフォー年代)から、72歳の健康寿命で人生を終わらせる覚悟を持って生きることは可能だと思います。

約30年の時間があれば、人生における夢や目標も達成することが可能と思います。そして夢や目標を達成できれば、心おきなく死ぬことができるだろうと思います。
これは、現時点の考え方だから変わっていくかもしれない。けれども、常に「人生の終わり・死」を意識して生きていこうと思います。
夫婦で「人生の終わり」について考えた結果、ダウンシフト生活という生き方を2020年に選択しました。
(最後に)「老後の過ごし方」を夫婦の会話のテーマに
夫婦間の会話の話題がないとか、ニュースを見かけます。夫婦ケンカの主な原因はお金らしいですよ。
夫婦の間で、お金のことや、どのように死を迎えるかや「死」までをどのように暮らしていくか、議論することはあるでしょうか。
我が家では会話しています。
うちは、夫婦でどう生きるか、どのように死を迎えたいか、定期的に話している。
その結果、移住したいね!という生き方に気づき、夫婦で向かい始めてる。
死ぬことや生きることについて話すのは、決してネガテイブじゃなくて、前向きにもなれる!
— ぴーちく (@ptnikki777) June 15, 2019
人生のエンディングというネガティブなテーマでも、実は話し合ってみると前向きになれますよ。
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